今回は息子の出産後、入院中に新生児黄疸と診断され、治療を行った時のお話をします。
初めての出産を終え、初めての育児がスタートしたばかりの時、息子と一緒に退院ができないといわれ、とにかく不安で、同じような経験をしている方のブログを探して読んだりしました。
当時のわたしと同じような気持ちのママさんのお役に立てたらなと思います。
初産、計画分娩でまさかのフルコース出産
わたしにとっては初めての出産でした。
子宮頚管が短い「切迫早産」と診断されていたこともあり、入院こそ回避しましたが貼り止めを処方され、いつ陣痛がくるかとドキドキしながら安静に過ごしていました。
しかし臨月に入ってもお産の兆候はなく、予定日超過。赤ちゃんが大きくなっていたため予定日の翌日に計画分娩することになりました。
前日の昼過ぎに入院して、その日は面会時間いっぱいまで夫とニンテンドースイッチのマリオカートをしながらだらだらと過ごしました。
翌朝7:00から誘発分娩をスタート。緊張して一睡もできずに計画出産に臨むことになりました。
陣痛促進剤を増やしていくもなかなか破水せず、15時人工破水。
促進剤がどんどん効いてきて痛みが増し、逆に効きすぎてしまい過強陣痛に。
このせいで力を上手く抜くことができずにお産は進まず。今度は逆に痛みを和らげるため無痛分娩へ切り替えるとのことで16時に背中から麻酔の針をいれました。
17時になり、担当の医師の「そろそろ産むよー!」という掛け声で数回いきむも、なかなか出てこず。
「吸引」を2回と、先生がお腹に乗っかりぐいぐい押すというめちゃくちゃアナログな手業「クリステレル圧出法」を施されました。それでも出てこず、ダメ押しの「鉗子」でやっと出てきてくれました。
産まれてすぐに泣いた我が子の声は、思っていたよりもよわよわしくて可愛い声でした。おでこには鉗子で挟まれたあとがくっきり。ちょっと痛々しい。
わたしの出血量は1400ml。重度の貧血になってしまったため、出産翌日はベッドから立ち上がることも出来ませんでした。(通常この病院ではお産翌日には歩く練習をさせられます。)
そんな壮絶だったフルコース分娩でかかってしまったストレスが、後の息子の黄疸の原因になってしまった事は数日後に知りました。
産後4日目で、息子のベッドが変わった
産後2日目ごろから黄疸が出始めたものの
と説明を受けていたので特に気にもしていませんでしたし、ミルクの飲みもうんちも順調だったので、当たり前に一緒に退院できるものだと思っていました。
ところが産後4日目になっても黄疸の値(ビリルビン値)は下がらず。
念のために、早めに治療を始めておいたほうがいいということで通常の新生児用ベッド⇒〝光線治療ができるベッド”に変更されることに。
わたしは赤ちゃんってこんなもんなのかな~と思ってあまり気にならなかったけれど、夫は「顔黄色いもんね」と言っていました。(たしかに今写真を見返すと、めちゃくちゃ顔が黄色い。)
と言われていたので、本当はずっとでも抱っこしていたかったけれど おむつ替えと授乳の時以外はなるべく抱っこもせずにベッドの上に寝かせておくようにしました。
寝心地が悪そう(に見えるだけかもしれないけれど)なベッドに寝かされた息子がなんだかとっても可哀相に見えてしまったのと、黄疸の値が下がらなかったらどうしようという心配と、ごめんねという気持ちでどんどん気持ちは落ち込むばかり。
授乳室はほかのママさんたちとの共有スペースで、いつも並んで授乳をしていたのですが、授乳室でもなるべく照射していられるように部屋の端にあるコンセントの近くにベッドを持っていき、授乳を終えたらすぐに寝かせて照射するように指導されました。
おしゃべりする仲のいいママさんも何人かいたのですが、やはり急に変わった息子の光るベッドに驚いている様子だったので
なんていいながら授乳していましたが、息子に申し訳なくて、個室で一人になったときはこっそり泣きました。
と、産後4日目の時点で私と一緒に退院ができないということが告げられました。
産後5日目、わたし一人退院
産後5日目の朝、わたしは産後退院検診を受けましたが特に問題なく、退院することに。
産後検診を受けに行く間は息子を預けていました。(この病院では、完全母子同室ではあるもののシャワーの間やご飯中、買い物に行くときやゆっくり休みたいお母さんは赤ちゃんを預けることができました)
検診終わりにその足で預けていた息子に会いに行くと、なんだか一層物々しい保育器に入れられていました。
おむつ一丁で、テープタイプのアイマスクをしてうつぶせに寝かされている息子。
ビックリして思わずその場で号泣してしまい、看護師さんに背中をさすってもらいながら
「背中からの照射だけでは数値が下がらなかったので、よりたくさん光を当てられるようにこの中に入れています。今までのベッドよりも効率よく治療ができるんですよ!」
と、説明を受けました。大丈夫だよ!すぐよくなるよ!と慰められましたが、この時は余裕がなかったのでもうどうにも涙は止まらず。
ごめんね、ごめんねと息子に声をかけました。
治療に使う光は目に良くないので、息子は授乳の時以外はずっとアイマスクをしたまま。照射の光はあたたかく、保育器の中はむわっと蒸していました。息子もしっとりと汗ばんでいて、お世辞にも快適ではなさそう。
頭の方には保冷剤がいれられていました。おそらく、暑すぎて苦しくならないための対策だと思います。
その後夫がわたしを退院の迎えに来ました。
なるべく夫に心配をかけまいと「すごいかっこいい保育器にはいってるんだよ!」なんて無理してヘラヘラ笑っていいながら一緒にお医者さんの説明を受けましたが、内容は
「出産時にストレスが多くかかってしまったため、その影響で黄疸が強くでているんだと思います。他の疾患の可能性はほぼほぼないとは思いますが、ビリルビン値の高い状態で長くいることはよくないので、光線治療という方法をとって治療していきます。」
というようなお話でした。(超うろ覚え)
お産のときに、促進剤が効きすぎて痛みがかなり強く、わたし自身の呼吸が浅くなってしまい赤ちゃんに届けられる酸素が少なくなってしまっていたこと、吸引や鉗子の物理的なストレスなどが原因だと知り、もっと安産だったら…と悔やみました。
退院した日は一時帰宅してから、搾乳を持ってもう一度病院に行きました。
この面会のあと、息子と離れるのが寂しすぎてまた泣きました。夫は急に泣き出したわたしにとてもビックリしていました。
わたしの退院後、4日目で息子も退院
結局息子が退院できたのは、わたしが退院した4日後でした。
息子が入院している間は、毎日搾乳して冷凍した母乳を届け、病院にいる間に1回か2回授乳をしました。
先ほどの保育器に入っていたのは2日間で、その3日目には最初に乗せられていた背中から光を当てるベッドに移動、その翌日は通常の新生児ベッドに移されて経過観察でした。
息子が保育器に入っている間はどうしてもあのおむつ一丁の小さな背中とアイマスクをされている姿を見るのが辛かったので、新生児ベッドに移って、他の赤ちゃんと同じタオル地のお洋服を着せてもらっていたときはすごくホッとしました。
治療により入院中にしっかりとビリルビン値が下がり、無事に黄疸もなくなりました。
最初は自分が退院した翌日には退院できるのかな~なんて思っていたので、お見舞いに行くたび「今日は退院できるかな!」と期待してはその日退院できずガッカリ…を繰り返していました。
けど、この時にしっかりと照射治療をしてもらったおかげで良くなりましたし、その後退院してからも問題なく安心して過ごすことができたので結果的にはよかったかな、と思います。
その後は順調で、今は息子もスクスク成長し現在11ヵ月になりました。すっかりお座りも安定して、離乳食をもりもり食べます。つかまり立ちもするし、よく笑います。
今思えばあの時はなかなか大変なお産のあとで体力的にも精神的にもかなり不安定だったので、産後少しだけお休みする時間をもらえたのかな、と思っています。
生まれて1週間経たない小さな子がこんな小さな保育器にいれられて可哀相。息子に申し訳ない。一人で寂しくないかな、と、考えれば考えるほど思い詰めてしまい当時は本当に辛かったのですが
本人はもちろん覚えていないでしょうし、他の子たちよりも長く入院していたこともあり看護師さんたちにも可愛がってもらえていて幸せだったと思います。
ほんの数日、しかしとても長く感じる数日でしたが、このことでかなり思い悩んでしまったため、この先も色んなことがあるだろうけれどあまり神経質にならず、ある程度気楽に、心に余裕をもってやっていけたらいいなと思うきっかけになりました。