母親になってから、自分が子供の頃のことを思い出すことが増えました。
わたしの家庭は母と父の関係があまりよくなく、物心ついたときにはしょっちゅう喧嘩をしていました。暴言や怒鳴り声、なにかをたたく音。気づけばいつもイライラしている母。
幼いわたしは幼稚園に通うことを拒むようになりました。小学校に上がってからも登校を拒否し、小学生になってからも夜泣きも酷く精神的にも不安定な幼少期を過ごしました。
そんな自らの体験などをもとにしながら、親になった今、気を付けたい「夫婦げんか」について思うことを書いていきたいなと思います。
夫婦げんかが原因で子供の脳が委縮する・・・?
「日常的な夫婦喧嘩」が子供に与えうる影響
「夫婦喧嘩」と一言で言っても、その内容や原因も実に様々です。夫婦の数だけそれぞれ事情がありますから、まったく喧嘩をしない夫婦のほうが珍しいでしょう。
しかしここで知っておいてほしいことは「日常的に繰り返される夫婦喧嘩」は子供にとって重大な影響を与えてしまう可能性があるということです。
福井大学とハーバード大学の研究で「日常的に両親の暴力や暴言を見聞きしていた子供は、脳の一部が委縮していた」ということがわかったそうです。
最近では夫婦喧嘩や暴言に接した子供には学習の遅れ、ゆがんだ言動、感情コントロール能力の低下などの様々なリスクが起こるということが明らかになってきているのです。
「夫婦喧嘩」は暴力や暴言だけではない
夫婦喧嘩というと、暴力や怒鳴り合い、罵倒などが思い浮かぶかと思います。しかしここでいう「夫婦喧嘩」というのは、必ずしも暴力や暴言を伴った激しいものばかりではありません。
嫌味のようにチクチクと相手を追い詰める言動、相手の存在を否定するような言葉、さらには無視なども立派な夫婦喧嘩です。
大好きな両親がお互いに傷つけあったり、傷つけられている状況というのは、子供にとってはこれ以上にないストレスであり、これが日常的に行われることで確実に心と脳にダメージを受けます。
両親の喧嘩が、幼少期のわたしに与えた影響
ここからはわたしの幼少期の記憶を辿りながら、両親の喧嘩を見聞きしながら子供ながらに感じていたこと、そして今になって思う「両親の夫婦喧嘩や不仲の影響」などをまとめていきたいと思います。
小2で両親が別居、小3で一緒に暮らすも間もなく離婚
このあとのお話や状況を分かりやすくするために、まず簡単にですが家庭環境や背景についてのお話をしていきたいと思います。
わたしには5つ下に弟がいます。弟が生まれたときには母親はもうすでに父親と離婚することを決めていたようです。
そんなわけで、物心ついたころから両親の関係は良くなく家族で出かけた記憶などもほとんどありません。
父親はあまり家にいなかったので、父との思い出は正直あまりなく、家でよくゲームをしていたことと車が好きで改造していたこと。金髪で、タバコを吸っていたことくらい。
子供の頃は父親がいない理由を「仕事」だと思っていましたが、実際はパチンコなどに遊び歩いていたようです。
5つ離れた弟は身体が弱く、よく入院をしていました。今思えば、小さくて病気がちな弟とわたしをほとんど1人で世話していた母は本当に大変だったと思います。
父親からは稼いだお金の一部しか手渡されず、深夜わたし達を寝かせた後に母は近くの飲食店にパートに出かけていました。夜、母のいない時間に目を覚ました弟を、当時6歳だったわたしがなだめることもありました。
今思えばどうしようもない、だらしなく役立たずな父親でも、子供の頃のわたしにとっては大好きな存在で、時々帰ってくると大喜びでした。
母が家出をしたときのこともよく覚えています。
子供なので家出の理由はわかりませんでしたが、母親が出ていってしまったために父は仕方なくわたしと弟を乗せて珍しくドライブに連れて行ってくれました。子供心に「ママに捨てられたんじゃないか」と傷ついたのと同時に「パパとドライブに行けて嬉しい」という気持ちもあり、複雑な心境だったのを覚えています。
登園拒否、ピカピカの1年生でも登校拒否
わたしは年中さんから幼稚園に通っていました。最初の頃からあまり幼稚園好きではなかったものの、弟が生まれるころになると毎日のように朝の園門の前で「行きたくない」と大泣きしました。
これに母はかなり苦労したようです。大人は「弟が生まれて、弟は家でママと一緒にいるのに自分は幼稚園に行かなきゃいけないのが嫌なんだね」と思っていたようです。
しかしこの時のわたしが幼稚園の登園を拒否していた本当の理由は「家に帰ったら、パパもママもいなくなってしまっているかもしれない」 と思っていたからです。
顔を合わせるたびに言い合いをする両親を見ていたため、常にこういった不安をかかえていました。
「なんで行きたくないのか」を大人に上手く説明することはできなかったのですが、このときの不安な気持ちは今でもよく覚えています。園に入ってしまえば、しばらくは泣いていたものの先生のことも大好きだったのでいつもお手紙を書いたりしていたのですが、やはり登園時に母親と離れるときになると毎朝のように酷く泣きわめいていました。
そしてこれは小学校に上がってからも続きました。母親は登校班の集合場所まで無理矢理連れて行くも、わたしはしがみついて離れず。結局班のみんなには先に行ってもらい、あとから母親と一緒に学校へ行くことも多くありました。
小学生にもなると知恵がつき、無理やり学校に行かされても「お腹が痛い」「鍵を忘れた」などなにかと理由をつけては家に帰ろうとしていました。
先生は困り果てていましたし「お腹が痛い」など見え透いた嘘を繰り返すことで親からも先生からも呆れられ「なんで嘘なんかつくんだ」「嘘つき」とよく怒られました。
幼稚園のときも、小学校に通い始めても、行きたくない理由は同じでした。
「わたしがいない間にまた2人が喧嘩して、家に帰ったら誰も居なくなってしまうんじゃないか」「捨てられるんじゃないか」
その不安が、いつも心に渦巻いてたのです。
夫婦喧嘩が不登校の原因に…?
このときのわたしのように、夫婦仲の悪さが精神的ストレスやトラウマになり子供が不登校になることがあるようです。
両親が怒鳴り合ったり、無視しあったり、仲が悪い状態で同じ家に暮らしている子供は、大人が思っている以上に不安やストレスで心が傷ついてしまいます。
私の場合は当時まだ小さく、「お母さんお父さんがいなくなってしまうかも」「おいて出て行ってしまうかも」という不安や恐怖が大きかったのですが、ストレスにより前向きな気持ちや気力を失ってしまうことで引きこもりがちになってしまったり、家庭に居心地の悪さを感じ非行に走る子供もいます。
自分が学校に行かなくなることで、もう一度親が協力し合って関係を修復してくれるのではないかと考え、無意識に不登校という形をとることもあるそうです。
不安から特定のタオルケットに強く依存していた
「ブランケット症候群」「ライナス症候群」「安心毛布」という言葉をご存知でしょうか。
ブランケット症候群(ライナス症候群・タオルケット症候群)というのは、乳離れ時期の幼児によく見られるもので、ブランケットを始めとした毛布やぬいぐるみ、タオル(タオルケット)といった特定のアイテムに対して執着し、肌身離さず持ち歩いたり、ニオイを嗅いだりする依存症の一種です。
スヌーピーに登場するライナス君が常に青い毛布を持ち歩いていることから症状のことを『ライナス症候群』、『ライナス毛布』や『安心毛布』と呼ばれることもあります。
ブランケット症候群は多くの場合、心理的な不安や強いストレスを感じている場合に起こるといわれています。
不安、ストレス、恐怖などから解放されようと、強い執着を持つ特定のものを常に触っていたりにおいをかいだりすることで安心感を得ようとします。
わたしの場合、お気に入りのタオルケットでした。このタオルケットがないと眠れないのはもちろん、昼間も、買い物に行くときも、片時も肌身離さず抱えていました。とうぜんクタクタで汚れますが、新しいものへ買い替えるのはもちろん、洗濯すら拒むほどでした。
多くの場合は成長の過程で薄れていくといわれているブランケット症候群ですが、わたしは小学校にあがるまでずっとタオルケットを手離すことができませんでした。
常に不安を感じていた状況で、このタオルケットを触っている時だけは安心していられるような気がしていました。弟も同じようにタオルケットに強く依存していました。
「ブランケット症候群」=「家庭環境が原因」 というわけではありませんが、夫婦喧嘩の多い家庭では特に子供にこのような傾向が出やすいといわれています。
何度も何度も繰り返し手を洗ってしまう「強迫性障害」
小学2年生に上がるタイミングで、両親が別居を始めました。
正式には離婚には至っていなかったので、とりあえず他県に住む母の実家でおじいちゃん・おばあちゃんと一緒に暮らすことになりました。
1年間無理やり通った小学校は転校することに。
この時のわたしには、転校の理由はわかりませんでした。
とても急に決まったので、同級生からすれば春休みが明けたら気づいたらいなくなってたという状態。先生たちも驚いたようです。わたしはみんなに別れを告げることもできず、2年生の春から他県の新しい小学校に通うことになります。
もともと不安定だったわたしはこの環境の変化に適応できず、一日に何度も何度も手を洗うようになりました。母親は「潔癖症じゃないんだからやめなさい」と怒りますが、怒られてもやめられない、とにかく手を洗わないと気が済まなかったのです。
当時は知りませんでしたが、あの頃の症状は「強迫性障害」と一致することに気づきました。
強迫観念によって生じる不安な気持ちや嫌な感じを一時的に軽くするためにする行動を、「強迫行為」と呼びます。本人は、その行為を納得できるまでしないと気がすみません。
例えば、手を洗うこと・トイレ・お風呂などに必要以上に時間をかける、物事をするときにはおまじないや「大丈夫」と何度も確認する、物を順番や左右対称で並べることにとても拘る、同じ一連の動作を何度も繰り返すなどの何度も手を洗ったり、鍵や電気のスイッチを何度も確認したりする、などの例があります。
あの頃の異常なほどの手洗いは、不安な気持ちを一時的に軽くするための行動だったようです。この手洗いは両親の離婚後いつのまにかだんだんと回数を減らしていき、気づけば治っていました。
ちなみにこの頃、夜になるとなかなか眠れず毎晩得体のしれない恐怖に襲われ毎晩泣いていました。小学2年生にもなって夜泣きするような状態のわたしに、母親も困っていたのを覚えています。
子供は、大人が思っている以上に理解している
私の場合、小4で両親が離婚してからは徐々にこのような症状は治まり、学力は超低空飛行ではあったものの、幸い非行に走ることもなく、それなりの大人になることができました。
自分が幼少期にこのような経験をして思ったことは「子供は、大人が思っている以上に多くの物事を理解している」ということです。今回はわたしの記憶に残っていることを中心に描いたため、幼稚園以降のお話になってしまいましたが、たとえ子供がまだ赤ちゃんであっても、確実にストレスを感じ、何らかの影響を与えるでしょう。
とにかく子供の前での夫婦喧嘩はできるかぎり避けるべきです。
赤ちゃんでも生後6ヶ月ごろから「正しい・正しくない」といった判断ができるようになるといわれています。
両親が目の前で喧嘩したり言い争う姿をみることで「おとうさんとおかあさんはお互いをすきじゃないのかもしれない」「自分は愛されていないのかもしれない」という不安を抱えるようになってしまいます。
相手の悪口や喧嘩はできるだけ避けるべきですが、万が一喧嘩をしてしまった場合は子供の前でしっかりと「仲直り」をしてみせることで子供を安心させてあげるようにしましょう。
「喧嘩をしちゃうこともあるけれど、パパとママはお互いを大好きなんだよ」
という姿を見ることで、子供も納得するかもしれません。